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生みの苦しみ、オリジナルの大切さ(中原中也の「名辞以前」)

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「思えば遠く来たもんだ」って、のも中原中也だったんだね。

中原中也の「名辞以前」と言う言葉を初めて知った。

 

「名辞以前」っていうのは簡単に言うと…

現代の言様々な言葉による表現方法は、ほぼ言い表されつくされている感がある。

物を見た時や何かを感じた時、その認識したことを、既出の言葉で表現してしまう。

例えば、突然ボールが飛んできたとき、「あっ、突然ボールが飛んできた!」と心の中で言う。(感じる?なんのこっちゃ。そのまんまやん)

ブランコが揺れていれば、「ぶら~ん、ぶら~ん」とか「ゆら、ゆら」とか表現する。

僕らの頭に入っている数少ない言葉による表現方法である。

僕らは、そんな感じで普段の生活の中で、昔むかしの先人の表現した言葉を学び、ごく当たり前に、意識もせず利用している。

でも、最初に「ぶら~ん、ぶら~ん」っていった人は、そんな言葉のない世界に、自分が見て感じた目の前の現象を誰からも影響を受けず抜群のセンスで表現したということを忘れてはならない。

それが「名辞以前」

今使っている様々な言葉も、最初に使った人は、クリエイティブな人だったということ。

それが受け継がれ続け、今では「ぶら~ん、ぶら~ん」も「あっ、突然ボールが飛んできた!」超メジャーな言葉となった。

ボールが飛んできたときに、「ぐぢふぁがhfじぇj」と感じても言葉として表現できない。 

ので、結局は、「あっ、突然ボールが飛んできた!」と表現してしまう。

凡人は、ブランコが揺れていれば、頭に入っている数少ない擬音で「ぶら~ん、ぶら~ん」とか「ゆら、ゆら」としか言葉による表現方法が見当たらないが、中原中也は「サーカス」と言う詩の中でブランコの表現を「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現した。

これは、完全な中原中也のオリジナルのであるよ!

すごいよ中原中也、マネしてみ~、出来そうで出来ないよ!

こんな感じに表現できたらすごいよな~。

何かを生み出すことの出来るクリエイティブな人間には憧れてしまう。

 

巷に溢れた常識や非常識

これが良い、これは悪いという既成概念を全てを取っ払ったうえで、この表現が生み出されているんだろうな~

 

他人の意見に振り回されっぱなしの固定概念でカッッチカッッチの僕ちんは、どうぢたらコノ殻を破れるだろうか。

 

クリエイターやアーティストの産みの苦しみ
また身近なところでは、ビジネスマンの企画の産みの苦しみもありますが、そんな人たちが苦しんで産んだモノをただパクるだけではなく、これからは、少しでも、その生みの苦しみを想像したうえでパックって行かなければならないような気がした。

 

佐藤優は、

「哲学書の読み方について、著名な哲学者は一生をかけて一冊の本を書いた。僕らは哲学者が一生かけて考えた思想を、一冊の本によって学ぶことができる。そんなコスパの良い読み物はない」

的なことを言っていた。

いろんなモノをパクるときは、そういった背景を少しは考えながらパクろう。

でも、意識しないほど超メジャーになると、いつの間にか、パックった側の都合や偏見で、オリジナルが歪められ、違った使われ方をされてしまうこともあるようだ。

無知と想像力のなさに原因があるのかな?(ちょっと横道に反れました。)